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セガ マークIII(MKIII)


◆1985年発売 ◆セガ 
◆マーク III 15,000円
◆マスターシステム 16,800円

ファミコンより後発な分、性能は一枚上手だったが
発売されるソフトは殆ど自社製だった為、発売本数、種類共に少ない。
しかし、アーケードゲームで数々のヒット作を持つ セガの移植作品が
家庭で、逸早く遊べるのが、直系のゲーム機ならではの利点。

67.jpgこの写真は、マスターシステムです。

カートリッジ以外に、カードでもゲームを供給していたので
本体には両方の差込口が付いていたが
使うのはカートリッジの方がメインでした。

また、コントローラーの方向ボタンが独特で、中央にネジ穴があって
そこに短いスティックを取り付けることが出来た。
ただ、使っていると次第に親指に食い込んできて・・・・・痛い。
一度使えば、誰でも懲ります マジで。

それと、方向ボタンの操作性も悪いので仕方なく
移植手術でファミコンの十字ボタンと交換する作業をやりました。
(この改造で操作性が向上)
この方向ボタンの操作性は、後にメガドライブ用の6ボタンパッドが
出現するまで我慢しなければならなかったのが辛いところです。

1987年 セガマスターシステム発売。

オプションだったFMサウンドユニットを内蔵させ
連射機能を追加した、マークIIIのモデルチェンジ版。
ボディデザインとカラーに変更はあったものの
性能はそのままなので、以下同文。



この記事へのコメント
実はブラジルでは任天堂やNECのゲーム機は存在しておらず、ブラジルはSEGAの独壇場といえる地域だった。なぜブラジルではマスターシステム、メガドライブ、ゲームギア、メガCD、32Xがヒットしたからと言うと…、この時代のブラジルでは任天堂やNECはブラジルに販売代理店を置いていない為だったとか…。だからブラジルではマリオやカービィ、リンクではなく、アレックスキッド、ソニック・ザ・ヘッジホッグ、モンスターワールドといったキャラが海外同様、人気だった。サターン、ドリームキャスト以降は下火となりセガは遂にハード事業を撤退する。しかしセガハードの販売代理店でもあったTEC TOY(テックトイ)はハード事業をやめなかった。

つまりブラジルでの8bitゲーム機はファミコンではなくセガ・マスターシステム。16bitゲーム機はスーファミではなくメガドライブ、メガCD、メガ32X(スーパー32X(メガドライブを32bitにする周辺機器))。携帯ゲーム機は白黒のゲームボーイではなく、カラー液晶のゲームギア。この時のブラジルは任天堂ではセガ王国だったような気もするが…。

Posted by マイケル村田 at 2013年01月13日 13:31
SSやDCは本体価格の高さがネックになってくるでしょうし、カセットの方が取り扱いも簡単で楽。
シンプルイズベストですよ。
Posted by 管理人 at 2013年01月14日 19:58
海外版マスターシステムでは「Light Phaser Gun」というマスターシステム用の光線銃が発売されている。但し、形状は『赤い光弾 ジリオン』の「超高速光線銃ジリオン」の初期型モデルのフォルムの流用である。
Posted by マイケル村田 at 2013年08月09日 20:39
日本でも発売してくれてたらなぁ。
Posted by 管理人 at 2013年08月12日 23:50
こちらは1987年のヨーロッパ市場
第三世代ゲーム機の戦いは
任天堂圧勝の日本、セガマーク3は北海道に閉じ込め
アタリショックから復活したアメリカ市場
ここでも任天堂NESがサードを取り込み圧勝
かつての世界チャンピオンアタリのアタリ7800
任天堂と同時にアメリカ進出したセガのマスターシステム
いずれも敗北
そしてヨーロッパ市場でも勝つべく任天堂NESが上陸しようとしていた。
アタリ7800も今までのジョイスティックでは勝てないと
アタリ規格の十字キーコントローラを開発装着し上陸
ヨーロッパ市場でも任天堂圧勝の筈だった。
しかし其処でみたのは、初めて任天堂NES(ファミコン)に初めて互角以上に戦い勝利したセガマスターシステム(マーク3)の姿だった
Posted by T at 2013年09月29日 14:41
ヨーロッパではマークIIIが健闘していたとは驚きです。
私はてっきり二の舞かと・・・・・。
Posted by 管理人 at 2013年09月30日 19:27
アメリカで1986年に発売されたマスターシステムは、サードパーティーがアクティビジョンとパーカー・ブラザーズの2社のみだった。また、1985年に発売された北米版ファミコンであるNESが市場をほぼ独占していた。その結果、1988年の時点でNESのシェアを83%までにしか切り崩せず、SEGAはハズブロ傘下のTonka社にマスターシステムの権利を売却してコンシューマから一時撤退した。1990年、北米版メガドライブであるSEGA GENESISの展開後にマスターシステムの権利を買い戻し、Sega Master System IIを発売したがほとんど成功せず、1991年の『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』をもってソフト供給を終了した。累計販売台数はおよそ330万台。
1987年に発売された日本版マスターシステムは、サードパーティーはサリオ1社のみだった。また日本における競合機のファミコンは1987〜1988年に100万本を超える売り上げのソフトが7本あるなど全盛期を迎えており、かつ日本では次世代のゲーム機であるPCエンジンが1987年10月30日発売に登場していた。このような状況から、日本では苦戦を強いられた。その結果、マスターシステム発売から約1年後の1988年10月にセガは後継機メガドライブを投入し、マスターシステム用ソフトの供給も1989年2月4日発売の『ボンバーレイド』をもって終了した。累計販売台数はおよそ100万台。
ヨーロッパでは1987年に英ヴァージン・グループ傘下の大手パソコン用ゲーム会社のMastertronic社から発売され、ファーストパーティであるヴァージンのコンシューマ部門ヴァージン・インタラクティブ社のほか、セガ製アーケードゲームの欧州ホビーパソコンへの移植を通じてセガと関係が深かったU.S. Gold社やOcean Software社といった大手がセカンドパーティとしてソフトを供給。1990年代以降はテンゲンやアクレイムといったメガドライブの主要サードパーティもマスターシステム用ソフトを供給し、セガサターンが発売される1990年代後半まで展開が続いた。ライバル機である任天堂のNES(ヨーロッパ版ファミコン)はマスターシステムよりスペックが低いにもかかわらず発売が同じ1987年となったこと、またヨーロッパでの代理店となったマテル社のマーケティングの不備などもあって当初はマスターシステムに圧倒され、ヨーロッパの多くのサードパーティもマスターシステム側に付いた。しかし『Teenage Mutant Hero Turtles』(『激亀忍者伝』)がNESにバンドルされた1990年のクリスマス商戦が転機となって販売台数が2000%増え、逆にNESがマスターシステムを圧倒するようになったと、SEGA WestのCEOであったMike Hayesは証言している。それでも欧州でのマスターシステムの累計販売台数はおよそ680万台と、NESの累計販売台数830万台に対しても健闘を見せている。
Posted by t at 2014年04月12日 14:14
1986年に米国で発売以降、1987年以降に日本を含む世界中で販売がなされた。結果、主に欧州と南米で普及した。全世界累計販売台数はおよそ1,310万台。
こうしてセガマスターシステムは、Atari7800と違い世界で
ユーザーの心を引き留め、日本、アメリカ、ヨーロッパで
度々任天堂NES(ファミコン)に叩かれ、ボロボロになりながらも持ち堪え、次世代機メガドライブに後を託した後も、
ヨーロッパやブラジルで生き残り、更に携帯機ゲームギアの元になるなど後々のセガハードの原型となった。
しかし晩年ヨーロッパのマスターシステムはメガドライブと共に二世代交配のサターンの没落を目にする事になるとは。
Posted by t at 2014年04月12日 14:21
サターンは高額だから海外では厳しい結果に。
安価なマスターシステムが活路を見出したのとは対照的であります。
Posted by 管理人 at 2014年04月15日 22:35
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